あえて隣に座らなくても向かいの窓際が空いてるではないかと思ったが、女性の目力に押し切られるように頷いてしまった。
以前、同じ状況で男性客が来たときは苦手な防虫剤の香りがしたため、少しあからさまな気がしたが席を立って向かいに座り直したことがある。
瑠衣は置いていたバッグをひざに乗せると女性に席を空ける。
三十代半ばで細身で背が高く、黒のパンツスーツ姿に大げさなくらいに流した栗色のショートヘアから大粒のイヤリングをのぞかせている。
女性は席に座ると深緑のバッグをひざに置いて前髪をかき上げる。
瑠衣は若干居心地が悪くなった座席を窓寄りに座り直すと、外の景色を眺めながら女性が席を指さしたタイミングに自分が向かいの席へ移ればよかったと少し悔やんで唇をかんだ。
「よかったらどうぞ」
不意に声をかけられて女性の方を見ると、両手に手のひらサイズのピンク色の箱を二つずつ持って瑠衣に差し出している。
「え!? 何ですか?」
女性はにこやかな笑顔を浮かべ、瑠衣に応えるように両手の小指で器用にバッグを開くと
「もうすぐバレンタインでしょ。チョコ買い過ぎちゃって」
と中を見せてくる。
バッグの中には同じピンク色の箱がぎっしりと詰め込まれていた。
「え、すごい数」
「買い過ぎちゃったの、すごい数でしょ? 捨てるのもったいないし遠慮しないで」
女性は瑠衣に押しつけるように四つの箱を手渡すと、さらにバッグから一つを取り出して
「四つじゃ縁起悪いからもう一つあげる」
と合計五つのチョコをくれた。
バッグの中にはおそらく三十個は入っていると思われた。
女性は自分の座席の右側にバッグを押し込むと、座り直して
「クマよ、クマちゃん」
と微笑みかけてくる。
女性の言葉に瑠衣が首をかしげていると
「クマちゃんのチョコなの。箱に一匹ずつクマちゃんが入ってるのよ」
と言って透き通るような真っ白な両手で頭の上に耳を作って見せる。
「クマのチョコですか。ありがとうございます」
瑠衣がお礼を言うと、女性はさらにもうひと箱バッグから取り出しておもむろに開け始めた。
ピンク色の包装紙をむいて出てきた白い箱の蓋を取ると
「ほら見て、可愛いでしょう?」
と中身を見せてくる。
頭の大きなクマが箱の中で仰向けに寝そべって幸せそうな笑顔を浮かべて笑っている。
「あ、可愛いですね」
思わず顔がほころんだ。
「でしょ? あ、そうだ。せっかくだし味見しちゃおうか」
女性はそう言うと両手でクマを取り出して、鼻歌まじりに瑠衣の顔の前で左右に振って見せてくる。
クマが楽しそうに踊っている姿を再現しているものと思われた。